いきなりですが、被災地のパノラマ写真です。
8月16・17日の盆休みを使い、宮城に来ました。
ここは仙台空港から北に5キロほどに位置する
宮城県名取市の『閖上(ゆりあげ)』というところです。
今回の震災で被害の大きかった町の一つです。
360度、見渡す限りまるで荒野のようです。
でも、ここには沢山の住宅があり、人がいっぱいいた町だったんです。
3月11日の津波が来るまでは・・・。
住宅の基礎部分だけが残っています。
津波は一瞬で人も家も流してしまったのです。
バスもこのありさまです。
津波の力で、あっという間に破壊されたのでしょう。
この地域だけでも、500~600人の方が亡くなられたそうです。
町の端にがれきが山積みになっていました。
山のすぐ左側に見回りをされている方の人影が見えます。
この山の大きさがわかります。
こんながれきの山が、他にも沢山出来ていました。
会社のようなコンクリートの丈夫な建物は、なんとか形を保ってはいますが、
やはり破壊されています。
電柱も根本からごっそり倒されています。
道を走っていると船がありました。
ここは海岸から1.5キロ位は内陸です。
ここまで津波の勢いで流されてきたのです。
船をここまで移動させる波が来たということは、
どれだけ大きな津波だったのかということは想像に難くありません。
名取市を後にし、車で走り続けて松山に行きました。
ここでは『松島流灯会 海の盆』という催しがありました。
写真ではわかりにくいですが、海に向かって灯籠を流しています。
今回は震災で亡くなられた方の供養のために、例年よりも多くの灯籠が流されたようです。
灯籠流しの後には、沢山のお坊さんがお経をあげて供養をしました。
おそらく50人はおみえだったと思います。
翌日、ホテルを出発して『亘理郡山元町』に行きました。
すると止まったままの電車がありました。
近づいてみて驚きました。
線路がありません・・・。
これは『常磐線』です。
この常磐線は海岸の近くを南北に長く走っていたため、相当な箇所で打撃を受けていました。
写真はありませんが、線路がグニャリと曲がっているところも見掛けました。
常磐線はこの有様のため、復旧には相当な時間がかかるようです。
電柱も波によって斜めになってしまいました。
さらに海に近づいてみると・・・
堤防がえぐられたようにありません。
今は穏やかな海が見えますが、こんなにしっかりした堤防を
ごっそりえぐりとる津波を想像すると、
背筋がぞっとして、その場から早々に離れました。
ここは山元町にある『坂元駅』です。
駅のホームはみごとに壊され、線路も切れていました。
ちなみにこの駅に残っていたのはトイレだったコンクリートの建物だけでした。
そして、その建物の中には一匹の犬がいました。
コンクリートの日陰部分に横たわっていました。
暑そうでしたので、近くに転がっていた鍋を拾ってきて僕の持っていた水をあげたところ、
ものすごい勢いで水を飲み干しました。
よっぽど乾きと飢えに苦しんでいたようなので、
コンビニを探し、水とパンを買ってきて与えました。
もし、この山元町近辺に知り合いや親族のいらっしゃる方がこのブログを読んで下さっていたならば、
様子を見てきていただけるよう、お願いして下さい。
今でも気がかりでなりません。
特徴は白色の中型犬です。
右前足を痛めているようで、びっこをひいていました。
それから、黒い首輪をはめていました。
考えてみれば、このワンちゃんも今回の被災者ですよね。
きっと他にも沢山のペット達が被災しているのでしょう。
後ろ髪を引かれる思いでしたが、駅を後にしてさらに南下しました。
途中、道路の陥没や橋が折れている場所が沢山ありました。
そして次に着いた場所は『東北電力 北泉原町火力発電所』です。
近くに寄って、よ~~~く見てみると、
タンクに傷跡がついていました。
津波でやられたのでしょう。
こうやって僕が写真を撮っている近くでは、
関係者らしき方達がなにやらこのあたりについて話をしているようでした。
火力発電所を出発し、そのままさらに南下すると、
警察官が立っていました。
どうやらここから先へは行けないようでした。
なぜなんだろうと思い、地図を確認すると・・・
いつのまにか南相馬市に入っていました。
そう、原発のすぐ近くまで来ていたようです。
ここから先は完全に『管理区域』です。
ちなみにこの通行止めのすぐ手前にはコンビニがありました。
そこの駐車場で服を着替えている人が何人かいました。
なんでこんなところで着替えているのかと思いよく見てみると・・・
それはテレビで見た、原発で働く人たちの防護服でした。
しかし、見るからに薄いレインコートにしか見えません・・・。
この装備で良いのだろうか・・・心配になりました。
この後は飛行機の時間が迫っていたため、
急いで仙台空港に戻り、帰路につきました。
今回、名取市からスタートして北は松山、南は南相馬市まで走りました。
最後に、これは閖上の慰霊碑がある高台の上です。
そこにはひまわりが咲いていました。
このひまわりを植えた、避難所で頑張って生活している子供達を思うと、胸が締め付けられる思いでした。
でも、子供達はかならずこの苦境を乗り越え、
きっとこのひまわりのように、明るく上を向いて生きてくれると信じます。
今回まわったどの被災地も心が痛くなる景色ばかりで、
そこに立っているだけで涙がこぼれてきました。
天災とはいえ、このような多くの方が犠牲になり、
生き残った方達も様々な悲しみを抱えながら毎日を過ごしています。
早くこの東北が復興し、みんながまた笑って過ごせる町が戻ってくることを、
ただただ祈るばかりです。
今後は東海大震災も来ると言われています。
岡崎の隣には蒲郡など、海に面した地域もあります。
もし、本当に東海大震災が発生した場合には、すぐに高台に避難を開始する。
それが今回の東日本大震災から我々が学ぶことの一つだと思います。
地震の揺れよりも、津波は本当に恐ろしいです。
今回の旅は悲しみの旅でしたが、その中でも良かったと感じた事があります。
それは『笑顔』です。
被災地を訪れて、とても悲しい気持ちになる事が沢山ありましたが、
被災地でも営業を再開しているお店に入ると、みなさんとても明るかったのです。
みんな、心の中には悲しみを持っているのでしょうが、
それでも前に進むために笑顔で毎日を過ごそうとしている、
そんな感じがしました。
そんな東北の方の笑顔を見たときに、なんだか僕も勇気をいただけました。
東北の方の笑顔に感謝いたします。
そして、この経験を忘れずに、日々、頑張っていこうと思います。
皆様も一日一日を無駄に過ごさず、大切に生きてください。
明日、何が起こるのかは誰にもわからないのですから・・・。